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執筆者
shimpei
細川真平 1964年生まれ。音楽ライター/エディター。
ジェフ・ベック、スティーヴィー・レイ・ヴォーン他のCD/DVDのライナーを手がける。また、音楽誌、ギター誌、ウェブ等にも幅広く執筆。
ギターは絶対ストラト主義。
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第23回 アルダーとアッシュ
2007年07月25日
アルダーとアッシュ。
これらがストラトキャスターの代表的なボディ材だ。
これ以外にはバスウッドなども使われる(ロリー・ギャラガーのあの塗装の剥げたストラトはバスウッドだったらしい)。
初期のフェンダー・ジャパンなどではセンも使われていた(アルダーに性質が似ているらしい)。
が、やはり代表格はアルダーとアッシュだ。
’54年にストラトがデビューしたときにはアッシュだった。
その後、’56年にアルダーに変更される。
ただし、木目が透けて見えるブロンド・フィニッシュだけは、ずっとアッシュが使われてきた。
アッシュのほうが木目がきれいだからだ。
‘70年代後半から再びアッシュが使われるようになるが、この時期のアッシュは重い。
重いほうがサスティーンがいいからあえてそうした、という話もあるが、そのへんはどうなのだろう?(でも確かに、この時期のストラトのサスティーンは素晴しい)

肝心の音はどうかと言うと、アッシュのほうがバリンとして、押し出しが強い。
アルダーはもう少し柔かく、艶っぽい音だ。
アッシュが男性的、アルダーが女性的、とも言われる。

僕はストラトを2本持っている。
’65年製と’79年製。
売ったり買ったりをさんざん繰り返してきたが、この2本だけは間違いなくお墓まで持っていくのだろうな、と思っている。
’65年のはアルダー、’79年のはアッシュだ。
’79年はかれこれ20年近く放っておいたのだが、最近、丸太のような(笑)ネックをリシェイプし、ネックと指板の塗装をラッカーに変更した。
もともと鳴りのいいギターだったのだが、弾きやすくなったのでよく弾いていたら、激鳴りするようになってきた。
削られ、塗装され直したネックがそろそろ落ち着いてきたということもあるのだろう。
もう、怖いぐらいに鳴る(笑)。
サスティーンも言うことなし。
放っておくといつまででも鳴ってるんじゃないか、と思うほどだ。
で、改めてアッシュの素晴らしさに気づいた次第。
本当に男らしくて、張りのある、ロックなトーンだ。
レオ・フェンダーはアッシュにこだわっていたというが、その気持ちも分かる。
彼にとっては、アッシュこそがストラトのトーンだったのだろう。
とは言え、アルダーの’65年のトーンも死ぬほど素晴らしい。
優しさの中に芯のある、まるでぼくの好きな女性のタイプのようなトーンだ(分かりにくい例えだな……笑)。
だから、今後この2本をうまく使い分けていこうと思っている。
指板は’65年がローズ、’79年がメイプル。
ボディ材だけではなく、指板の材質もトーンに影響していることは間違いない。
で、思った。
ぼくに必要なのは、もう1本、アッシュ・ボディでローズ指板のストラトではなかろうか、と……。
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第22回 プチ・ケッペキショー
2007年07月16日

ぼくは、自分の手が汚れているのが我慢できない。
だからよく手を洗う。
神経症というわけではないのだが、単なるきれい好きの度は越していると思う。
その理由を考えてみると、汚い手でギターを弾きたくないからだと気づいた。
手に汚れがついていると、ギターが弾きにくい。
指の滑りが悪かったり、滑りすぎたりするし、弦も早く死ぬ。
それに、異物が付着することは、ギター自体にもいいわけがない。
そういう意識があるから、ギターを始めた子どものころからずっと、手をきれいに保つように心がけてきた。
それが日常的な習慣につながったのだろう。

ちょっと前のことになるが、NHKの『英語でしゃべらナイト』で、ゲストのマーティ・フリードマンが、「ぼく、“プチ・ケッペキショー(潔癖症)”なんです」と言っていた。
ああ、ぼくと同じだなと思った。
きっと彼も、汚い手でギターを弾きたくないという気持ちをずっと持ってきたのだろう。
それが習い性になってしまったに違いない。
「日本には握手の習慣がないのがイイネ!」とも言っていた。
確かに、握手する相手がトイレへ行って手を洗っていなかったらイヤだなあ。
と、大きくうなずくぼくも、間違いなくプチ・ケッペキショーだ(笑)。

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第21回 ピッキング考
2007年07月10日

昔から、ギターのピッキングは強ければ強いほどいいと言われてきた……気がする。
少なくともぼくの周りではそうだった。
あるギタリストを評価する基準として、「誰それはやっぱりピッキングが強いよな」という言い方がよくされ、それにウンウンとうなずいていたものだ。
でも最近は、ピッキングは強くなくていい、軽いほうがいい、という説を至るところで耳にするようになった。
今ではぼく自身もそう思っているし、軽いピッキングを心がけている。

軽いピッキングの利点はこんなところだと思う。
1.ピッチが狂わない
思い切りピッキングすると、当然、弦の振動幅が大きくなり、ピッチが不安定になる。
また、弦がフレットに当たってビリつきやすくもなる。
軽いピッキングだとそういうことはない。
2.強弱がつけやすい
常に100パーセントの力で弾いていたら、それ以上に強くは弾けない。
だが、いつも軽いピッキングをしていれば、少し力を加えてだけで大きなダイナミズムを作り出せる。
3.コントロールをしやすい
指に力が入っていない分、弦間の移動がスムーズにできるし、細かいフレーズをスムーズに弾けるなど、ピッキング・コントロールをしやすい。
つまり、2と3をまとめて言うと、ニュアンスを出しやすくなる、ということだ。
4.トーンが良くなる
1とも関係するが、弦が適正な振動の幅を保つので、ナットやブリッジに負荷をかけることなく、そのギター本来のトーンがきっちりと出る。
ピックアップのコイルから弦があまり外れないということも関係するかもしれない。
5.リズム感が良くなる
腕、手首から指にかけての力が抜けた状態での軽いピッキングのほうが、リズムに乗りやすい。
コード・カッティングでは当然そうだと思われるだろうが、これは単音弾きでも同じだ。

ではなぜ強いピッキングのほうがいいとされてきたのか?
ぼくが思うに、きっと昔は(今でも?)日本にはアンプを自然に歪ませるほどの音量を出す環境がなかったせいではないだろうか。
だから、レコードで聴くようなギター・サウンドを出すためには、なるべく強いピッキングで歪ませなければいけない、という神話ができ上がったのではないかと思う。
もちろん日本にだって昔から歪み系エフェクターはあったわけだが(いや、それどころか世界に冠たる名機をいくつも生み出した国だが)、きっと「いや、誰それはそんなものを使わないであの音を出しているのだ、それにはピッキングの強さしかない!」と、誤った情報を鵜呑みにした上での根性論的発想になったのではないかと、ぼくは思う。
実際には、大型真空管アンプをフルアップさせることで、海外のレコードで聴けるいい感じに歪んだサウンドはでき上がっていたわけだし、もちろん'60年代にだってファズやトレブル・ブースターなどはあったわけで、けっして力であの音を出していたのではなかったのだ。
だから、いまきちんと聴いてみるとジミ・ヘンドリックスもジェフ・ベックもジミー・ペイジもエリック・クラプトンも、けっしてピッキングは強くない。
いや、例えばクラプトンは、ブルース・ブレイカーズ時代までは強いピッキングをしており、そのせいでピッチが狂っていることがある。
'60年代半ばあたりまでは、海外でも強いピッキングによる歪みを求めていたのかもしれない。
だが、クラプトンもクリーム以降は徐々に軽いピッキングになっていく。
他のギタリストたちも同じだ。

ぼくは音楽ライターという仕事をしているので、いろんなプロ・ギタリストたちのプレイを目の当たりにする機会がある。
その中には、誰一人として強いピッキングをする人はいなかった。
いやもちろん、強い強くないは主観も入るから、絶対的な力具合を表すことはできないのだが、少なくとも“ピッキングは強ければ強いほうがいい”というやり方で弾いている人は一人もいなかった。
みんな、力が抜けた状態で軽やかなピッキングをしていた。
あの豪腕っぽい印象のあるフィリップ・セイスですらそうだった。
腕の振りの大きさと、ピッキングの当たりの強さを混同してはいけないのだ。
そして、出音のハードさ、ヘヴィーさにも、耳をくらまされてはいけない。
これはすっかり経験済みだから自信を持って言うのだが、軽いピッキングでも、アタックの利いたハード/ヘヴィーなトーンは作れる。
マスター・ヴォリュームなしの100Wマーシャルしかないなら話は別かもしれないが。

バークリー音楽院でギター科の助教授を務めるトモ藤田さんは、かつてジョン・メイヤーにギターを教えていた。
ジョン・メイヤーは、そのときトモさんからしつこいほど言われて、今でも心がけていることがあるという。
それは、「ピッキングはできるだけ軽くしろ」というものだった。

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第20回 ラッキー・ナンバーはストラトキャスター
2007年07月02日

人それぞれラッキー・ナンバーがある。
あれ? ないですか?
ま、そういう人もいるかもですが(笑)。

ぼくのラッキー・ナンバーは2。
ぼくの人生にはこの数字がよく絡んでくるし、絡んできたときにはすべてが上手くいく。
ただ、ちょっとした秘訣があって、上手くいかなかったことはカウントしない、すぐ忘れる(笑)。

ぼくの誕生日は12月22日。
2が3つも並ぶ。
家の電話番号も末尾が22。
車のナンバーにももちろん2が入っている。
最初に好きになった野球選手は阪神の田淵。
背番号は22。
そして江夏。
背番号28。

と、まあいろいろあるのだが、ギターに目を向けても同じなのだ。
ぼくは大のストラト好き。
これはもう一生変わらないと思う。
実は、フェンダー社内でのストラトキャスター認識コードは、2だった。
'62年から、ネック・デイトがスタンプ化されたが、そのときから頭に2の数字が押されるようになっている(それ以前のことはよく分からない)。
このコードは、'65年12月から13に変更される。
ぼくの'65年ストラトは11月生まれなので、ちゃんと2だ。
まあでも、13も1+3で4、4=2+2ということで、これもぼくにとって悪い数字ではない。
そして、'68年になると、コードは13から22へと変更になる。
以降ずっと22がストラト認識コードのようだ(最近のことは分からないが)。
ぼくのサブ・ギター、'79年製ストラトにも22のスタンプがある。

こう考えると、ストラトとぼくは運命の赤い糸で結ばれていたに違いない。
ぼくがこのギターにほれ込み、使い続けるのは必然だったのだ。
ストラトを弾いている限り、ぼくは常にラッキー・ナンバーといっしょってわけだ。

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