「あなたにとってギターとは何か?」という質問は難しい。
インタヴューでギタリストにこれを訊くときには、こちらも緊張する。
こんなに難しい質問はない、ということが分かっているからだ。
この手の質問は、大事ではないものに関してだと答えるのは簡単だ。
——あなたにとってタワシとは何ですか?
「掃除道具ですね」
でもこの「タワシ」が「私」になった瞬間、事の重大性はまったく違ってくる。
——あなたにとって私とは何ですか?
「*@△#◎★!!」(お好きな文章を入れてください)
ギターを愛する人間にとって、「あなたにとってギターとは何か?」というのは、これと同じぐらい返答に困る、また慎重にならざるを得ない質問なのだ。
ギターから「あなたにとって私は何なの?」と詰問されているにも等しい。
幸いなことに、ぼくはまだ「あなたにとってギターとは何か?」と訊かれたことはない。
できればそんな難しいことは、今後も訊かれたくない。
仕事柄、人に訊くことは許してもらいつつも。
どうしてもと言うなら、ぼくの人生が終わるときに、「あなたにとってギターとは何だったか?」と訊いてもらいたい。
そうすれば、少しはまともなことが言えるかもしれない。
ぼくの人生が何だったかについて答えられるかもしれないのと同程度には。
——あなたにとってギターとは何でしたか?
「…………」
答えは、今のところ、風の中にある。
さて、この連載コラム『六弦一会』は今回で終了します。
ご愛読いただいた皆様、ありがとうございました。
特にコメントをいただいた方々には感謝いたします。
それでは、
アディオス!
ではなく、
チャオ!