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ギター情報サイトTARGIE(ターギー)。ギター新製品、アンプ、エフェクター、ギタリストの情報、ライブビデオ、ギター展示会レポートなど、ギターのことならTARGIEに訊け!

執筆者
shimpei
細川真平 1964年生まれ。音楽ライター/エディター。
ジェフ・ベック、スティーヴィー・レイ・ヴォーン他のCD/DVDのライナーを手がける。また、音楽誌、ギター誌、ウェブ等にも幅広く執筆。
ギターは絶対ストラト主義。
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若大将にシビレる
2012年05月24日
FACEBOOKで同業の友人が紹介してくれて感銘を受けました。
加山雄三はズゴイ!
ぜひこのYouTubeの映像を観てください……というか、音声を聴いてください。
1966年の加山雄三のワンマンショーを、TVからテープレコーダーに録音したものだそうです。
自身の曲のほかにベンチャーズのカバーを何曲かやっていますが、それが素晴らしいのです。



このグルーブ感!
ギター・プレイの見事さ!
テスコのアンプのナチュラルで豊かな歪み!
テープで録っているので、それ自体のコンプレッション感も加わっているのだと思うのですが、全体的にめちゃくちゃロックなサウンドです!

'66年といえば、ジミ・ヘンドリックスがイギリスに渡ってデビューする年です。
クリームが結成される年です。
ジェフ・ベックとジミー・ペイジが一緒にヤードバーズにいた年です。
その年に日本で、加山雄三はこんなライブをやっていたんですね。
もちろん、お手本としてベンチャーズがあったわけですが。

ベンチャーズのデビューは'59年ですが、'60年の「ウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)」で大人気を得ました。
今よりも圧倒的に情報が少ない時代なのに、それからわずか6年後には日本でこんな演奏が繰り広げられていたことに驚きます。
リアルタイムで当時をご存知の方にとっては「当たり前だのクラッカー!」なのかもしれませんが……。

もうひとり、日本のエレキ・シーンにおいて忘れてはいけないのが寺内タケシです。
'65年には寺内タケシ&ブルージーンズで「涙のギター」という初ヒットを飛ばしています(作曲はすぎやまこういち)。



こちらも素晴らしいですね。
ベンチャーズからの影響を見事に自分のものにしてしまっている感じです。

ウィキペディアの寺内タケシのページにはこんな記述があります。

1964年から翌年にかけてザ・ベンチャーズやアニマルズ、アストロノウツ、スプートニクスといった海外のバンドがこぞって来日、世界のエレキの凄さを見せつけようと意気込んで乗り込んできたがベンチャーズはともかく他のバンドはことごとくブルージーンズの演奏の凄さに完全に屈し白旗をあげて帰って行くという伝説を作り上げてしまった。

ウィキペディアですので、信憑性は保証できません。というか、「完全に屈し白旗をあげて帰って行く」はないだろうという気はしますが(だって戦争しに来たわけじゃないですからね)、寺内タケシが海外のミュージシャンにも大きな印象を与えたのは間違いないと思います。

また、続いてこうも書かれています。

1965年には日劇ウエスタンカーニバルの音響監督に就任してイベントをエレキ一色に変えた。このことなどから世界的にも寺内の演奏は知られるようになり、この年多忙により実現しなかったが「エド・サリヴァン・ショー」の出演依頼が舞い込み、さらにアメリカの音楽雑誌「ミュージック・ブレーカー」にチェット・アトキンス、レス・ポールと並んで「世界三大ギタリスト」に選ばれた。

と、なんだか、すごいことに……。
寺内タケシにはほかにもいろんな神話があります。
リッチー・ブラックモアの「ハイウェイ・スター」のソロは寺内タケシからの影響で、日本に来ると彼のレコードを買い漁るとか、わざわざ会いに行くとか、来日したジェフ・ベックが寺内タケシにサインをもらいに行ったとか、サンタナも彼のファンで同じくサインをもらいに行ったとか、もうどこまで本当か分からないぐらいすごいことになっています(笑)。
とにかく、海外でも高い評価を得た日本を代表するギタリスト、ということは確かでしょう。

寺内タケシや加山雄三、こういう先人たちがいたからこそ今の日本のロック・シーン、エレキギター・シーンはあるのですね。
寺内タケシは今でも人気がありますが、ギタリスト=加山雄三は再評価されるべきだと思います。

この2人が共演したのが映画『エレキの若大将』('65年)でした。
蕎麦屋の出前持ちが寺内タケシです。
おいおい、初めて弾いてこんなわけないだろ!(笑)

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恋をするように
2012年05月17日
皆さん、恋をしていますか?

「恋」という言葉はいいですね。
英語だと「愛」も「恋」も“LOVE”なんでしょうけど、「愛」と「恋」が違うところが日本語の妙です。
「愛」というと、「家族愛」とか「郷土愛」とか「人類愛」とか、広い意味がどうしてもくっついてきてしまいます。
でも「恋」というと、もっとピンポイントな対象に向けての強烈な思い、という感じですよね。そこがとてもいいと思うのです。

村上春樹の音楽エッセイ『意味がなければスイングはない』に、こんな一節があります。

「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。」

ちなみに僕はハルキストではありませんし、村上春樹とは現代で最も過大評価されている作家のひとりだと思っているのですが(個人的な考えですので、あなたの意見と違っていても許してください。僕たちはジョージ・オーウェルの『1984年』の世界に生きているのではないのですから。……と、少し春樹的な免責文を書いてみたり)、この文章を初めて読んだときには涙が出そうになりました。
僕が音楽を聴く意味の一端を教えてくれたというか……いや、そうではなくて、音楽を聴くという訳の分からないけれども、自分にとってはどうしようもなく大事で、必要な行為に、それが正しいかどうかは別として、ある意味づけをしてくれた喜びがあった、という感じでしょうか。

村上春樹の良さというのは、作品自体の良さよりも、こういうちょっとした、けれども個人にとっては大きな意味のある気づきや示唆を与えてくれるところにあるのではないかと思います(個人的な考えですので……以下同文)。

まるで恋をするように音楽を聴く――僕にとっては、ギターを弾く行為も同じです。
そこには楽器自体のぬくもりととともに、記憶のぬくもりがあります。
それは自分自身の記憶のぬくもりであると同時に、ギターの歴史、ロックの歴史、音楽の歴史が持つ記憶のぬくもりでもあります。

例えば、ジミ・ヘンドリックスのあるフレーズを弾くとき、そこにはジミの生涯の記憶、60年代という時代の記憶、そのフレーズを成り立たせたロックンロールやR&Bアーティストたちの記憶、その基となったデルタ・ブルースマンたちの記憶など、様々な記憶が宿っています。
そして、それらの記憶がひとつになって、ぬくもりを醸成しているのです。
ギターを弾くという行為は、そのぬくもりをこの身に感じ取ることでもあるのだと思います。

自分の人生を振り返ってみると、ギターがなかったら僕は生きることをとっくに放棄していたかもしれません。
そんな僕にとって、恋をするようにギターを弾くのではなく、ギターを弾くことが恋そのものなのでしょう。

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ギターの音は指が作る! のか?
2012年05月09日
“ギターの音は指が作り出すものだ”とよく言われます。
僕自身も、ムック等でギタリストの機材解説を書いた場合、そういうようなことを最後に付け足すことがあります。
そうでないと、“同じ機材を使えば同じ音が出せる”と思い込む人がいるかもしれないので、それは違うよ、と言っておきたいからです(もちろん似た音にはなりますけどね)。

ここで言う“指で作る”というのはちょっと比喩的な意味もあって、つまりは“弦の押さえ方、ピッキングの強弱、角度などを含めたその人の弾き方の総体”と言っていいと思います。
またそこに、“その人のギタリストとしての個性”みたいなものを加味して言う場合もあります。

しかし、この考え方が行き過ぎると“ギターの音は指が作り出すものだ、機材なんか関係ない、特にエフェクターを使うなんてもってのほかだ”みたいな極端なことを言い出す人もいたりします。
こういう人を僕は、“ギターの音は指原理主義者”と呼んでいます(笑)。

先日YouTubeで、日本ではほとんど無名のあるブルース・ギタリストのライブ映像を観たのですが、演奏も音も素晴らしいものでした。
それで、コメント欄を読んでみたら、やはりアメリカでも事情は同じようで、こういう書き込みがありました。

“最高の音だぜ! やっぱりギターの音ってのは指が作るもんだね。●●(ギタリスト名が入る)にゃ、エフェクターなんか必要ねえぜ!”(ちょっと脚色)

……いや、映像観ると足元にエフェクターボードが映ってるんですけど(笑)。
オーバードライブと、あと何かひとつかふたつぐらいのシンプルなボードではありましたが。それに、音を聴くと、オーバードライブ(か、ブースター)でアンプをブーストしているのが分かる張りも感じられました。

その書き込みをした人は、“素晴らしいギタリスト=指で音を作る=エフェクターなんか使わない”という思い込みが出来上がってしまっているんでしょうね。
だから、エフェクターボードが映っていても目に入らないのでしょう(笑)。

しかし不思議なのは、そういう“ギターの音は指原理主義者”たちも、なぜかジミ・ヘンドリックスのことは認めるんですよね。
じゃあ何かい、あのファズの音は指で歪ませとんのかい! あのワウ・ペダルの音は指でワウワウ言わしとんのかい! あのユニバイブの音は指でウニウニやっとんのかい!
とツッコミたくなるのですが、原理主義者たちは負けずに、“ジミヘンの指があるからこそ、エフェクターに負けていない”とか言い出すのです。
いや、それも正しいとは実は僕も思っています。ジミがエフェクターいっさいなしで弾いた音源を聴いたって素晴らしいですから。

でも彼は、自分のイマジネーションをサウンドで表現しようとしたときに、指で作る音だけでは足りなくて様々なエフェクターを使ったわけです。
それはそれで認めるべきだと思うのです。
いや、認めるどころか、エフェクターを使ってこんなすごいことをやったんだとか、彼の頭の中ではきっとこんな音が鳴っていて、それを表したかったんだろうなとか、素直に感動すべきだと思います。
彼はギターの音を聴かせるためにギターを弾いていたのではなくて、ほかのどこにもない音楽を作るためにギターを弾いていたのですから。
ギターが大好きだからこそ、ギターを使ってそれをやろうとしたという点も大事だと思いますが。

“ギターの音は指が作る”というのは正しいと思いますし、前提としてあっていいと思います。
というか、あるべきだと思います。じゃないと誰もギターの練習をしなくなっちゃうし(笑)。
でもその上で、エフェクターを使うも良し、使わないも良し。
要は、そのギタリストが何をどう表現したいかが最も大事なのです。

これをもっと突き詰めていくとギターやアンプを含めた機材全体の話になりますし、また演奏の上手い・下手と音楽表現との関係はどうなのかという大きな話にも発展していってしまいますので、今回はこのへんで。

あ、これはまったくの余談ですが、レス・ポールをアンプに直結しているギタリストを見て、“アンプ直であの音なんてさすが!”と言う人がよくいます。
でもそれを聞くと、“ズルイ〜、ハムバッカーはそれ自体がブースターじゃん!”とストラト派の僕は思ってしまいます(笑)。
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ロックと歪みの切っても切れない関係
2012年05月02日
ロック・サウンド=歪みサウンドと言っていいと思います。
ギターの歪んだサウンドなしに、ロックは成り立たない音楽なのです。
(僕も含めて)ロックにイカれてしまった人たちというのは、ロックの持つ様々な要素に惹かれているのだとは思いますが、間違いなく歪んだサウンドに心を奪われてしまった人たちでもあります。

でもロックに限らず、楽器の“歪んだ音”というのは人を惹き付けるものです。
クラシックでもそうで、例えばバイオリンを強く弾いたときの音って、歪みが乗っていますよね。歪みが倍音を強調し、迫力があって、かつふくよかに聴こえるのです。
トランペットなどの管楽器もそうです。力強く吹いたときの破裂するような音、あれも歪んでいるから人の心を捉えるのです。

ジャズ・ギターだって、強制的に歪ませようとはしていないですが、自然な歪み成分があってこそ心地好いのだと思います。チャーリー・クリスチャン然り、ジャンゴ・ラインハルト然りです。

ですが、自然にではなく強制的に、そして強烈に歪ませたのがロック・ギターです。
その起源をたどると、'51年のジャッキー・ブレンストンの「ロケット88」という曲に行き着きます。アイク・ターナーが書き、後にエルヴィス・プレスリーで有名になるメンフィスのサン・スタジオで初めて録音された曲でした。
この中で、史上初めて意図的に歪ませたギター・サウンドを聴くことができます。

“意図的に”と書きましたが、実はもとをただすと偶然の産物でした。
伝説は、(1)車の屋根に載せたアンプがハイウェイ61を走って来る間に壊れた、(2)車の屋根から落ちて壊れた、(3)雨のせいで壊れた、と3種類あるようなのですが、とにかくアンプが壊れた(スピーカーのコーン紙が破れるなどのダメージを受けた)ことは確かなようです。
その壊れたアンプから出て来た歪んだサウンドをプロデューサーのサム・フィリップス(サン・レコードの創始者で、後にエルヴィスを世に送り出す人物)が気に入り、“意図的に”レコーディングに使ったのです。

大事なのは、「ロケット88」が“初めてのロックンロール・レコード”と認知されていること。
つまり、歪んだサウンド=ロック・サウンドであり、歪んだサウンドなしにはロックは成り立たないということが歴史的にも証明されているわけです。

歪みサウンドの歴史において次に重要なのが、リンク・レイの'58年のインストゥルメンタル・ナンバー、「ランブル」です。
彼はこの曲のレコーディングに際して、歪みサウンドを得るためにアンプのスピーカーに穴を開けたと言います。

このサウンドは多くのギタリストたちに影響を与えました。ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ピート・タンゼントなど数え切れないほどです。
映画『ゲット・ラウド』では、ジミー・ペイジが自宅でこの曲をかけながら子どもに戻ったような表情でギターを弾く真似(エア・ギター?)をするシーンが印象的でした。そして、「全てはこの曲から始まったんだ」と語ります。

'61年にはナッシュビルのレコーディング・スタジオで、マーティ・ロビンスの「ドント・ウォーリー」という曲を録音中にミキサー卓が壊れ、偶然歪んだベース・サウンドが録れてしまいました。そして、その音がいいじゃん! ということでそのままレコードになったのです。
どうも歪みの歴史には“偶然”が欠かせないようですね。
その後、もちろんミキサー卓は直さざるを得なかったわけですが、その音を再現しようとしてスタジオのエンジニアが開発したのがファズでした。

こうして生まれたファズは、翌年にはギブソン傘下のマエストロから“ファズ・トーン FZ-1”という名で初めて商品化されました。
'65年のザ・ローリング・ストーンズの「サティスファクション」のリフで聴けるサウンドがこれです。当初は思ったほど売れなかったファズでしたが、この曲の大ヒットにより一気に市民権を得て行くことになります。

と、このあたりまでが、ロック・ギターにおける歪みサウンド事始めという感じでしょうか。
こうして見ると、ロック・サウンド=歪みサウンドであり、ロックの歴史=歪みの歴史ということがよく分かっていただけると思います。
もちろんそれは今でも同じですし、これから先も変わることはありません。歪みの歴史が終わるときは、ロックが終わるときなのです。


ジャッキー・ブレンストン「ロケット88」


リンク・レイ「ランブル」


ジミー・ペイジ、リンク・レイの「ランブル」を聴く(映画『ゲット・ラウド』より)


マーティ・ロビンス「ドント・ウォーリー」

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