ギブソン創業者の墓を訪ねて
世界2大ギターメーカーのひとつであるギブソン社を設立したのが、オービル・ヘンリー・ギブソン。現在の本社はテネシー州にあるが、実は設立されたのはミシガン州、オービルが生まれたのも亡くなったのもニューヨーク州である。
オービルは1856年、カナダとの国境に近いニューヨーク州シャタゲイの農家に生まれた。彼の若い頃に関する記録は殆ど残っていないが、30代半ばまでにはミシガン州カラマズーに移り、レストランや靴屋で働きながら趣味で楽器を製作していたようである。1894年頃、バイオリンやビオラといった弦楽器の音響に魅せられた彼は、その構造的特徴をマンドリンとギター製作に応用した。木材を削り出して形成したボディサイドとアーチ状のトップをもつ彼の楽器は、その暖かみのある響きで人気となり、彼はこのアイデアで1898年2月に特許を取得している。
オービルの才能に目をつけた起業家達は彼に会社設立の話を持ちかけ、1902年にギブソン社を設立。ビジネスに興味のなかったオービルは経営に携わらず、楽器の製作部門にも深く関与していなかったと言われるが、彼のアイデアであるアーチトップ構造は、100年以上経った現在でも主力製品のレスポールやESシリーズなどに残っている。彼は特許によるロイヤルティを受け取る一方、カラマズーで音楽教師として働いたとの記録もある。
心臓に持病を抱えていた彼は1907年頃からカラマズーや、故郷近くの町オグデンスバーグで入退院を繰り返す。1918年8月21日、彼はニューヨーク州立セントローレンス病院で亡くなり、翌日の葬儀後にマローンのモーニングサイド墓地に埋葬された。
マローンの冬は長く寒い(マイナス30度まで下がることもある)ので、オービルのお墓参りをするなら絶対に夏がお薦め。私は無謀にも極寒の2月にお墓参りをした。モーニングサイド墓地はすぐに見つかったが、広い墓地のどこに彼が埋葬されているのか分からず、雪の中を2人の友人と手分けして探しまわった。
大抵の区画には、名字が刻まれた大きめの墓石があり、その周囲を小さな墓石が取り囲んでいる。雪の上を注意して歩きまわり、罪悪感を覚えながらも足で墓石の存在を感じては雪を掘る。数ヶ月間雪に埋もれている小さな墓石は完全に凍り付いており、名前を確認するには表面の氷を剥がさなくてはならない。これをひたすら繰り返す。「GIBSON」は珍しい名字ではく、4つのギブソン家の区画を確認したが全部はずれ(泣)。結局、別のギブソン家の区画に立てられた、「Gibson Gravesite」の小さな緑の看板に気付くまで1時間以上もかかった。この区画でも、雪を掘って氷を剥がしての繰り返し。
発見!
オービルは、兄ラベル(Lovell)夫妻の墓石裏に埋葬されていた。「O.H. GIBSON 1856 -1918」とだけ刻まれた、非常にシンプルで小さな墓石だ。ギター史に大きく名前を残したオービルに対面して胸は熱くなるものの、やはりマイナス15度は寒く、鼻水が止まらない私だった。
合掌。