デルタブルースの王の墓を訪ねて

写真真偽のほどはさておき、「十字路で悪魔と取引して演奏技術を得た」というエピソードで有名なロバート・ジョンソン。彼は1938年に27歳で死亡したが、ローリング・ストーンズやクリームといったイギリスのロックバンドによるカバーで存在が世界に知られ、彼の生涯に関する研究が盛んになったのは1960年代後半以降である。彼に関するエピソードの多くは死後数十年経ってからの証言によるもので、確かな情報は少ない。しかし、彼の残した数少ない音源が後世のミュージシャン達に多大な影響を与えているのは紛れもない事実だ。

ロバート・ジョンソンは、1911年5月8日にミシシッピ州ヘーズルハーストで生まれた。母親はジュリア・ドッズ、父親はジュリアの不倫相手ノア・ジョンソンだが、彼が本当の父親を知ったのは10代半ばになってからだ。彼は10歳を過ぎた頃に兄の影響でギターを始める。20歳前後の短い期間で急に上達したことから「悪魔との取引」伝説が生まれたが、実際には当時、アイク・ジナーマンというギタリストからレッスンを受けていたようだ。

彼の歴史的なレコーディングは、1936年11月と翌年6月にテキサス州で行われた。「壁に向かって演奏した」というエピソードについては、彼はシャイだったからとか、それがベストな音響条件だったから、などと言われているが真相は分からない。彼はこの2回のレコーディングで29曲、全42テイクの音源を残した。

写真ジョンソンはレストランやバーで演奏しながら南部を転々とする。モテ男だった彼は各地で女心をつかんでは世話になっていたようだ。これが災いし1938年8月、グリーンウッドで演奏中に不倫相手の夫から、ウイスキーに毒を盛られてしまう。突然具合の悪くなった彼は演奏を中断して帰宅。3日間もがき苦しんだ後、8月16日に死亡した。

彼の死亡記録には、埋葬場所として「ザイオン教会」とだけ記されているが、グリーンウッド付近にはザイオン教団の教会が複数あることから、正確な埋葬場所は特定されていない。後年、関わりのあった人物による証言から、埋葬された可能性のある3つの場所が浮かび、1990年代になって墓碑が建てられた。

私は、日本で眠るご先祖様に後ろめたさを感じながら、お盆の頃にその3カ所を訪れた。周辺には濃い緑の綿花畑が広がる。ブルースを聴き始めた高校時代、私は地理の授業で「綿花地帯」という言葉が出てくる度にデルタの巨匠達を思い浮かべていたが、実際にそこを訪れ、ジョンソンのお墓参りをすることになるとは当時、夢にも思わなかった。

写真まずはモーガンシティにある、マウントザイオン教会へ。墓碑には「Me and the Devil Blues」の一節が刻まれている。
YOU MAY BURY MY BODY, DOWN BY THE HIGHWAY SIDE (俺が死んだらハイウェイのそばに埋めておくれ)
歌詞はその後「So my evil spirit can catch a Greyhound bus and ride(俺の魂がグレイハウンドバスに乗れるように)」と続く。「グレイハウンド」は長距離バスの会社名だが、同社のバスはこの田舎町を通っていない。また、墓地の前の道は、「ハイウェイ」と呼ぶにはあまりにも狭い。

続いて、モーガンシティ近くのキトにある、ペイン教会へ。墓碑は平たく、非常に小さい。この教会名に「ザイオン」は含まれていないが、ジョンソンのかつての恋人は、ここが埋葬場所だと証言したそうだ。

最後に訪れたのが、グリーンウッド北部にある、リトルザイオン教会。墓碑の上にはビール瓶が置かれている。誰かがお供えしたのか、それともジョンソンを偲びながら酒盛りでもしたのか。

ジョンソンのお墓を訪れる人にはギタリストが多いのだろう。3つの墓碑の周りには多数のギターピックが供えられていた。気温40度の猛暑だが、それ以上に達成感で胸が熱くなる。どれが本当の墓だか分からない(全部違う可能性だってある)が、ようやく聖地巡礼を果たしたようで、非常に感慨深いお墓参りだった。

ロバート・ジョンソンに合掌。

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